第1章 夕暮れの工場にて

薄暗くなりかけた町工場の作業場に、金属を削る機械の低いうなり音が響いていた。田嶋誠一は汚れた作業着の袖で額の汗を拭いながら、最後の仕上げに集中していた。古びた旋盤(せんばん)とプレス機が並ぶ工場は、油の匂いと鉄粉の舞う空気に満ちている。昭和の時代から稼働しているこの小さな工場では、今日も熟練の技で精密部品が作られていた。

「社長、すみません!」

突然、若手社員の一人が駆け寄ってきて声を張り上げた。誠一は振り向き、何事かと眉をひそめる。

「どうした?」

「明日納品予定の部品の数が合いません。在庫表にミスがあったようで、2個足りないんです…。」

その報告に、誠一の胸はドキリと高鳴った。

「なんだと?」

思わず声が荒くなる。長年の取引先からの注文品が足りないとは一大事だ。

「すぐ追加で作れますか?」

駆け寄ってきたのは、息子の翔太だった。翔太は30歳になったばかり。大学卒業後に一度大企業に就職したが、3年前から父の工場を手伝っている。

「段取りすれば今から徹夜で加工して、朝までには仕上げられると思う」

翔太がそう答える間にも、誠一は頭の中で段取りを組み立てていた。追加製作に必要な材料はあるか、機械の設定は?職人たちはもう帰宅し始めている時間だが、連絡して呼び戻すしかない。

「くそっ…誰だミスをしたのは?」誠一は苛立ちを隠せずに呟いた。長年使ってきた在庫管理の帳簿——いまだに手書きの台帳で管理しているそれ——を思い返す。現場では紙の伝票とノートに頼っている。それが当たり前だった。だが、その当たり前が今になって綻びを見せている。

「父さん、紙の在庫表じゃ人為ミスは避けられないよ。デジタル化して正確に管理できれば、こんなこと起きなかったかもしれない」

翔太の言葉は正論だった。正論だからこそ、誠一の胸に突き刺さる。

「今は説教より製作が先だ!」

誠一は翔太を遮るように声を張り上げた。翔太も「はい…わかってる」と口をつぐみ、すぐに作業に取りかかる。親子の会話はそれ以上交わされることなく、夜の工場に再び機械音が鳴り始めた。

第2章 町工場の誇り

追加製作の段取りが整い、機械が再び動き出したころ、誠一の頭の中は悔しさと不安で渦巻いていた。ミスが起きてしまったことへの自責、そして翔太に指摘された言葉への動揺。
「デジタル化…か」誠一は小さく呟いた。確かに、帳簿の字は年々見づらくなっている。古株の事務員がつけている在庫ノートも、本人以外には解読困難な走り書きだ。頭では分かっている。手書きと人頼みのやり方では限界があることを。しかし長年培ってきたやり方を変えるのは簡単ではない。現場では「この方法でずっとうまくやってきた」という自負と安心感が染み付いているのだ。

誠一は機械の音に身を任せながら、過去の記憶に思いを馳せた。昭和の終わりから平成の初めにかけて——自分がこの工場を父から引き継いだ頃——日本の製造業は世界を席巻していた。どんな部品でも高精度で作り上げる熟練工たち、徹夜もいとわず納期に応える根性、そして現場のカンと経験。それらが日本のものづくりの強みであり、誇りだった。

「うちの工場は機械より職人の腕だ」と亡き父・誠二は口癖のように言っていた。誠一が高校を出て工場に入り、父の背中を追いかけていた頃、町工場仲間たちとの間での自慢は最新の機械ではなく、自社にどれだけ腕のいい職人がいるかだった。現場では技術と経験が何より尊ばれ​it-trend.jp、デジタルなどという言葉は縁遠かった。図面は製図板に手で描き、伝票は複写式の用紙にペンで書く。そうしたアナログなやり方でも、十分に仕事は回っていたのだ。

バブル景気の絶頂期、誠一の町工場にも多くの注文が舞い込んでいた。当時は24時間フル稼働で、油まみれになりながらも充実した日々だった。アメリカやヨーロッパの企業からも引き合いがあり、日本の品質への信頼は揺るぎなかった。「俺たち職人が世界を支えている」——誠一も若かりし頃はそう信じて疑わなかった。

あの頃、誠一には夢があった。自分の技術で誰にも負けない製品を作り、日本の製造業の力を示すこと。実際、従業員20名ほどの小さな工場ながら、高度成長期からバブル期にかけて、年商は右肩上がりに伸びていった。町工場の息子から一人前の職人、そして工場の経営者へ——誠一は現場叩き上げで成長し、何よりも現場の論理を大切にしてきた。

第3章 揺れる時代

しかし、時代は変わっていった。1990年代初頭にバブル経済が崩壊し、不景気の波が製造業にも押し寄せた。注文は減り、価格競争が激しくなり、かつての勢いは失われていった。誠一の工場でも例外ではなく、初めての大きな試練を迎えた。

「中国や東南アジアに生産をシフトする動きが出てきています。我々もコスト削減を検討しなければ…」主要取引先の大手メーカーの担当者からそう告げられた日のことを、誠一は今も忘れない。高品質であってもコストが高ければ発注してもらえない——そんな現実に直面し、誠一は工場の将来に強い危機感を覚えた。技術力だけでは乗り越えられない壁があるのか、と。

この頃から少しずつ新しい技術の波が押し寄せてきた。ひとつは工作機械のNC化(数値制御化)だった。手作業中心だった加工現場に、コンピュータ制御のNC旋盤やマシニングセンタが導入され始め、熟練工の勘と経験に頼らずとも正確な加工ができる時代が来つつあった。誠一の工場でも、父の代から使っていた古い旋盤をNC機に置き換えるかどうかで議論が起きたことがある。職人たちの中には「こんな機械に頼ったら腕が鈍る」と反対する者もいた。しかし誠一は思い切って最新鋭のNC旋盤を一台導入した。大量生産ではない町工場に本当に必要か迷いもあったが、生き残りをかけた決断だった。

結果はどうだったか。確かに、熟練の職人が一日かけてやっていた微細加工を、NC旋盤は数時間で完了してみせた。職人たちも最初は戸惑っていたが、操作に慣れるとその精度と効率に驚かされた。「機械もうまく使えば味方になるもんだな」そう呟いた古参の職人の声を、誠一は今でも覚えている。あの時、技術革新の波に乗れたからこそ、工場はなんとか生き残ることができたのだ。

だが21世紀に入り、変化のスピードはさらに増した。リーマンショックやその後の長引く不況、円高による輸出企業の打撃、追い打ちをかけるように海外新興国企業との競争。誠一は日々、工場の舵取りに悩み続けた。仕事を確保するためには安易な値下げも迫られ、苦しい経営が続いた。

そんな中、「IT」や「デジタル化」という言葉が製造業界にも聞こえてくるようになった。当時の誠一には、それが自分たちにどう関係するのかピンと来なかった。例えば2000年代に入って、取引先から「図面をCADデータで送るので閲覧してください」と言われたとき、誠一は慌ててパソコンを購入し、CADソフトをインストールしたことがあった。手描き図面に慣れていた職人たちは最初戸惑ったが、徐々に画面上の図面を見るようになった。しかし工場の基本的な業務フローは相変わらず紙と人海戦術に頼っていた。

「販売管理システム?生産管理ソフト?ウチには贅沢だよ。」経営セミナーで中小企業向けのITツールの紹介を受けても、誠一はそう自分に言い聞かせていた。高額なシステムを導入する資金的な余裕もなかったし、何よりパソコンに詳しい人材もいない。製造業ではIT人材の確保が大きな課題だ​it-trend.jp。専門知識のある人材は大企業に流れ、中小の町工場にはなかなか来ない。当時50代になっていた誠一自身も、最低限のメールや表計算こそ使えるものの、本格的なシステムを使いこなす自信はなかった。

第4章 世代交代

工場に翔太が加わったのは3年前のことだ。それまで大企業の生産管理部門で働いていた翔太は、「将来は工場を継ぎたい」と言ってUターンしてきた。誠一にとって、それは嬉しくもあり、不安でもあった。自分の背中を見て育ったはずの息子だが、現代的な教育を受け大企業のやり方も知っている。価値観のギャップは避けられないだろう——そう覚悟していた。

実際、翔太は工場に入ってすぐに様々な改善提案をしてきた。「在庫管理にExcelを導入しよう」「作業日報をデジタル化して皆で共有できるようにしよう」等々。いずれももっともな提案だったが、現場の反応は冷ややかだった。古株の職人たちは「机上の空論だよ」と笑い、事務員は「パソコンは苦手だから…」と尻込みした。誠一自身も、「まあそのうち検討しよう」とはぐらかして、先延ばしにしていた。

翔太は歯がゆそうだったが、現場での経験が浅い自分が急に変革を押し付けても反発されるだけだと理解し、一旦は様子を見るようになった。彼はまず現場の作業を一通り経験し、職人たちに教えを請い、信頼関係を築くことに努めた。誠一はそんな翔太の姿に感心していた。若造なりに必死で食らいついて現場を知ろうとする——その姿勢は、自分が若い頃に叩き込まれた現場第一主義と相通じるものがあったからだ。

だが、工場の業績は相変わらず伸び悩んでいた。取引先からは納期短縮やコスト削減の要求が厳しくなり、少ない人数で回す現場には慢性的に無理が生じている。「毎日残業続きで、体がもたないよ」と嘆く従業員もいた。それでもなんとか根性で乗り切る——それが誠一のやり方だった。しかし翔太の目には、それは非効率と無計画に映っていたに違いない。

ある日、翔太がぽつりと切り出した。「父さん、このままだと人も育たないし、先細りになると思う。もっと効率的にやらないと、若い人も定着しないよ」誠一は返す言葉がなかった。心の中では痛いほど感じていたからだ。実際ここ数年、新卒や中途で若手を採用しても、厳しい労働環境に耐えられず辞めていく者もいた。平均年齢は上がる一方で、2023年時点の社長の平均年齢は60.5歳と過去最高になったという調査もある​mscompass.ms-ins.com。60歳の誠一自身、その平均にどっぷり当てはまっていた。昔気質の経営者が高齢化し、事業承継もままならない——世間で言われているそんな状況に、自分も陥りつつあることを誠一は感じていた。

第5章 DXへの壁

翔太は諦めずに少しずつ現場の問題点を洗い出し、メモにまとめていた。ある晩、事務所で帳簿を見直していた誠一のところへ翔太がノートPCを持ってやってきた。「父さん、これを見てほしいんだ」画面には、社内の課題と思われる事項が箇条書きにされていた。

  • 在庫管理:手書き台帳によるミス(今回の納品数不足の件も含む)
  • 作業日報:各現場作業員が紙に記録、集計や分析がされていない
  • 図面管理:最新版が共有されず、古い図面で製造しかけた事例あり
  • 属人化:ベテラン社員しか分からないノウハウが多く、引き継ぎが不十分

「これが今のウチの弱点だと思う」と翔太は静かに言った。誠一は腕組みをして画面を見つめる。確かに思い当たることばかりだった。しかしだからと言ってどうすればいいのか…。
「解決策は考えているのか?」重い口を開いて尋ねると、翔太は一瞬驚いたようだった。普段、父は自分の意見を真剣に聞いてくれていないと思っていたのかもしれない。「うん…例えば在庫管理や日報はデジタル化して、みんながリアルタイムで情報を共有できるようにする。図面管理もクラウド上で一元化して、常に最新版を確認できるようにする。それから、ベテランのノウハウは動画やマニュアルに記録して、教育に活かす…。」翔太は次々と言葉を紡いだ。

誠一はため息をついた。「言うのは簡単だがな…」その先はなかなか言葉にできない。抵抗感が胸の内に渦巻いていた。長年のやり方を変える怖さ、未知の技術への不安、自分には理解できないものに会社を委ねていいのかという疑念。現場の他の社員たちも同じだろう。長年培った従来のプロセスが根強く残っており、新しいシステム導入に抵抗感がある​it-trend.jpのは、うちの工場だけじゃない。日本中の製造現場に共通する傾向だ。

「それに金はどうする?新しいシステムを入れるにもタダじゃない」誠一はあえて難癖をつけるように言った。翔太は「実は補助金を利用する手もある」と即答した。「政府のIT導入補助金を使えば費用の一部は賄えるし、規模によっては最大450万円の補助も出る制度があるんだ​it-seibishi.or.jp。昨年、同業の先輩から教えてもらって調べておいた。」そう言って資料を差し出す翔太に、誠一は少し驚いた。息子なりに着々と準備を進めていたのだ。

「人材もいないのにできるのか?」誠一はなおも質問を重ねる。「誰がそんなシステム作る?ウチにはITの専門家なんていないんだぞ」——これも誠一が常々感じていた不安点だった。すると翔太は意外な答えを返した。「外部の専門家に頼らなくても大丈夫かもしれない。​ntt.com」翔太は続ける。「最近はローコードとかノーコードといって、ほとんどプログラミングしなくても現場の人間が自分たちでアプリを作れるツールがある。例えばPower Appsとか、キントーンとか…。それを使えば僕たちでもシステムを内製できる可能性があるんだ。」

Power Appsという名前に、誠一は聞き覚えがあった。以前翔太が社内で試しに作った簡易な入力フォームのアプリがそうだったはずだ。現場の作業日報をスマートフォンで入力できるようにする実験、と称して見せてくれたアレだ。「本当にそんなことでできるのか…?」半信半疑の誠一に、翔太は自身のノートPCで実演してみせた。画面上でブロックを組み立てるように操作すると、あっという間に「在庫情報入力フォーム」が出来上がった。材料名と数量を入力し、保存ボタンを押す。すると、クラウド上のデータベースに即座に反映され、別の端末からもその情報が閲覧できた。「すげぇ…」思わず誠一はつぶやいた。息子のやっていることが魔法のように思えた。

第6章 転機

その夜、誠一は布団に入ってもなかなか寝付けなかった。工場経営の将来に対する漠然とした不安が胸を締め付ける。頭の中で、翔太の言葉が何度も繰り返された。「このままだと先細りになる…効率的にやらないと…若い人も定着しない…」
暗闇の中で天井を見つめ、誠一は自問した。「本当にこのままで良いのか?」確かに自分はDX(デジタルトランスフォーメーション)なんて他人事だと思っていた。だがそれは、ただ自分が変化を恐れていただけではないのか。日本の製造業全体でもDXはなかなか進んでいないと聞く。​it-trend.jp実際、総務省の調査では製造業の約6割の企業が『DXに取り組んでおらず、予定もない』と答えている​it-trend.jp。自分だけが遅れているわけではない——そう感じてどこか安心していた部分もあったのだろう。技術と経験を重視する企業文化や、デジタルへの抵抗感が要因だとも指摘されている​it-trend.jp。まさに自分たちのことだ。

「DX、DXとうるさいが、結局は絵に描いた餅じゃないのか?」そう嘯いて現状維持を正当化してきた。だが、本当にそうだろうか。翔太の必死な表情、工場のみんなの疲弊した顔——それらを思い浮かべると、胸の内にざわめきが生じた。ふと、以前町工場仲間の集まりで耳にした話を思い出す。

大阪のとある町工場が、自社で日報管理のアプリを作ったという噂だった。従業員30名ほどの小さな工場が開発したそのアプリは、作業日報をデジタル化して誰でも過去のデータを検索・閲覧できるようにしたものらしい。手書きの日報では情報が埋もれて活用されないという課題を解決するため、若手社員が中心になってスマホやタブレットで日報を入力できる仕組みを導入したという​dx.ipa.go.jp。結果、記録作業の手間やミスが減り​dx.ipa.go.jp、記録のトレーサビリティ(追跡可能性)が確保され、工程ごとの正確な時間管理も可能になった​dx.ipa.go.jp。さらに全員がいつでも同じデータを見られるようになったことで、社内の誰もが工程全体を把握でき、自発的な改善提案が増えて生産性向上につながった​dx.ipa.go.jpという。

「町工場が自分たちでそんな高度なことを…?」当時その話を聞いた誠一は半信半疑だった。しかし噂の出所は経済産業省やIPA(情報処理推進機構)が支援するプロジェクトの報告会で、実際にその工場の事例が紹介されたという。しかもその工場は、出来上ったアプリを「スマファク!」と名付けて製品化し、他社にも提供を始めたというのだ。「町工場が作った町工場の日報見える化アプリ」という触れ込みで売り出し、中小規模の町工場だけでなく大手企業からも問い合わせが来ているらしい​dx.ipa.go.jp。あのときは「うちとは次元が違う話だ」と流してしまったが、今改めて思うと、自分たちにも可能性はあるのではないか——そんな気がしてくる。

「自分たちに可能性…」誠一はもう一度心の中で繰り返した。町工場だからといってDXができないわけではない。むしろ、小さいからこそ身軽にチャレンジできる利点だってあるかもしれない。​ntt.com実際、東京の板金加工会社・今野製作所では社員わずか39名でDXを推進し、国からモデル企業に選ばれたそうだ​ntt.com。大企業のような潤沢な資金や高度なIT人材がなくても、やりようによっては変革を起こせる——そんな事例が増えてきている。

天井を見つめながら、誠一は決心しつつあった。「やるだけやってみるか…」心の中で静かに呟く。60歳という年齢に差し掛かり、新しいことに挑むのは正直骨が折れる。だが、このまま朽ちていくわけにはいかない。翔太や従業員たちの未来のためにも、ここで踏ん張らねば——誠一は瞼を閉じ、明日からの具体的な段取りに思いを巡らせた。遅れを取り戻すには、まず小さな一歩から始めることだ。

第7章 小さな一歩

翌朝、誠一は早くから工場に出て、事務所で書類を整理していた。そこへ出勤してきた翔太が驚いた顔で声をかける。「父さん、どうしたの?こんな朝早くから」
誠一は少し照れくさそうに咳払いして、「いや…昨日の続きだ。お前の提案、具体的に聞かせてくれないか」と切り出した。翔太の目がぱっと明るくなる。「本当かい?」
「本気だ。ただし、うまくいく保証はないからな。試験的に、だ。現場のみんなにも納得してもらわにゃならん」誠一はあくまで慎重な口調を保った。内心の決意は固まっているとはいえ、性急に全てを変えられるとは思っていない。しかしまずはできる範囲から試す——それが大事だと考えていた。

翔太は早速具体策の説明に入った。まず手始めに作業日報のデジタル化から取り組むという。昨日誠一も聞いた大阪の町工場の事例のように、自社の作業日報をスマホやタブレットで入力できるようにする計画だ。「いきなり全員にスマホを持たせるのは難しいから、工場内にタブレットを2台用意して、交代で入力してもらうようにしようと思う。」端末やWi-Fi環境の整備に多少費用はかかるが、IT導入補助金が使えれば負担は軽減できる見込みだ。

「日報をデジタルにすると具体的に何が良くなる?」ベテラン職人の一人が不思議そうに尋ねた。現場に説明するためのミーティングの場でのことだ。誠一は翔太を見る。翔太は落ち着いた声で答えた。「例えば昨日みたいなトラブルがあったとき、過去の記録を紙のノートから探すのは大変ですよね。でもデジタル化されていれば、検索してすぐに過去のトラブル事例や対応策を見つけられます。それに、入力されたデータは全員がいつでも見られるようになります。同じ情報を共有できれば、みんなで改善点を考える素地ができます。」それを聞いて、別の若手社員がうなずいた。「確かに、自分たちの作業時間とかトラブルの頻度とかをみんなで共有できたら、色々アイデア出せそうですね。」一方、古参の職人はまだ半信半疑の様子だったが、「まぁ社長がそこまで言うなら試してみるか」と折れてくれた。誠一が「頼む」と頭を下げると、「社長が頭なんか下げないでくださいよ」と慌てて受け入れてくれたのだった。

こうして、工場内で日報アプリ導入の試行が始まった。翔太を中心にアプリの仕様が検討され、全員でどんな項目を記録すべきか話し合った。作業開始時間・終了時間、出来上がった部品の数、不良が出た場合はその原因——紙の日報では書ききれなかったことも、テンプレート化した入力フォームにすれば記録漏れが減る。「現場の意見を反映した導入計画」​it-trend.jpにすることで、皆の納得感を高めようという翔太の狙いだった。

アプリの開発自体は驚くほどスムーズに進んだ。翔太がローコードツール上で基本の画面を作り、テスト運用してみせると、若手社員たちが「それなら自分にもできそうだ」と興味を示した。そこで社内勉強会を開き、翔太が使い方をレクチャーした。はじめて触る人も多かったが、画面を見ながら操作するうちにコツを掴んでいく。年配社員の中には苦戦する人もいたが、そこは若手がマンツーマンでサポートした。「従業員への適切な教育や意識改革が必要」​estman.affordance.co.jp——翔太が以前読んだDX推進に関する記事に書いてあった言葉そのままに、根気強く説明を繰り返す。ゆっくりではあるが、現場に少しずつ変化の風が吹き始めた。

第8章 葛藤

しかし、新しい取り組みには思わぬ障壁も現れた。日報アプリの試行運用開始から1か月ほど経った頃、あるベテラン社員がぽつりと誠一に漏らした。「社長…正直に言うと、毎日タブレットに入力するのが億劫で…。つい後回しにしちゃうんです。それで結局、勤務終了後にまとめて記入したりするとミスが出てしまって。」実際、入力漏れや誤入力が散見され、せっかくのデータが不完全な日があった。誠一は翔太と顔を見合わせた。「現場に負担をかけては本末転倒だな」と誠一。翔太も「そうだね、どうすれば習慣づくかな…」と腕組みして考え込んだ。

さらに、入力されたデータをどう活用するかも課題だった。最初はみんな物珍しさもあって入力していたが、「入れたデータをその後どうするのか」という声が上がったのだ。若手社員の一人は「データを見ても特に指示があるわけじゃないし、自分の仕事がどう良くなるのか実感が湧かない」と正直に言った。これには翔太もはっとさせられた。確かに入力させること自体が目的ではない。データから何を学び、どう現場を改善するか——そこまで示さなければ、現場は動機づけられない。

「父さん、すぐにでも簡単な分析をやって結果をフィードバックしよう。例えば平均作業時間とか、不良発生率とかをグラフにして全員に見せるんだ」翔太はそう提案した。誠一も同意した。「よし、早速頼む。データが宝の持ち腐れになっちゃ意味がないからな。」翔太は早速ExcelやPower BIを使ってデータを可視化するレポートを作り、朝礼で共有した。そこには、各工程ごとの平均作業時間が棒グラフで示され、どの日に不良が発生したかが折れ線で示されていた。「こうやって見ると、月末に不良が集中してますね…疲れが出る頃なのかも」と若手がつぶやく。「現場目線での導入効果を具体的に示し、成功事例を共有する」​it-trend.jpことが大切だと翔太は感じた。データをもとに皆で話し合うことで、初めて「やって良かった」という実感が湧いてくるのだろう。

そうした努力のかいもあってか、徐々にではあるが現場の意識が変わり始めた。ある朝、古参の職人である木下が誠一に話しかけてきた。「この間、機械トラブルがあった時に日報アプリで過去のトラブルデータを検索したら、同じ原因の故障が2年前にも起きてたのが分かりましてね。その時どう対処したか書いてあったので、すぐ対応できましたよ。」誠一は目を見開いた。「そんな使い方をしてくれたのか!」木下は照れくさそうに笑った。「ええ、翔太さんに教わりながらでしたが。紙のノートをめくるより早いもんですね。」どうやら少しずつ、デジタル化のメリットを現場が体感し始めているようだった。

しかし一方で、翔太は気を揉んでいた。在庫管理や図面管理など、他にも手を付けたいDX施策は山積みだが、リソースも時間も限られている。「あれもこれも一度には無理だな…」翔太は焦る気持ちを抑えつつ、父に相談した。「今の人員では一気に全部は厳しい。外部のITコンサルタントに頼む手もあるけど…」誠一は首を横に振った。「コンサルなんて高い金払う余裕はない。それに、よそ者に現場のことが分かるもんか。」経営が苦しい中、外部に大金を支払うことへの抵抗は誠一に根強くあった。

そんなとき、翔太はある情報を思い出した。以前、中小企業向けの「IoT診断」という無料サービスがあると耳にしたのだ。都道府県など地方自治体や商工会議所が連携して、専門家が中小企業の現場を見てアドバイスをしてくれるという。「父さん、ダメ元でそういう公的支援を受けてみない?大阪府ではIoT推進ラボってのがあって、専門家が診断してくれるらしい​dx.ipa.go.jp。うちの県でも似た取り組みがあるかもしれない。」誠一は少し驚いた。公的機関の支援となると大げさな気もしたが、翔太は「もちろん無料か安価で利用できるはずだよ。各地でIoTやDXの事例を紹介する取り組みもやってる​dx.ipa.go.jpし、相談してみる価値はあると思う」と熱心だ。

調べてみると、県の産業振興センターで「スマートものづくり支援事業」なる窓口が用意されていた。翔太が早速連絡を取ると、数週間後に専門家が工場を訪れてくれることになった。その専門家——ITコーディネータの肩書を持つ中年の男性——は、工場の一日を見学し、従業員からヒアリングを行った後、経営者である誠一と翔太に診断結果を伝えてくれた。

「御社の場合、まず日報のデジタル化に着手されたのは素晴らしいです。次に取り組むべきは、やはり在庫・生産管理の可視化でしょう。」専門家は穏やかな口調で続ける。「現在はExcelと職人さんの頭の中で管理されていると伺いましたが、これを一元管理できるシステムがあると、生産計画の精度が格段に上がります。ローコードツールで可能とのことなので、例えば発注から納品までの流れを管理する簡易なワークフローをPower Appsで構築してみるのも良いでしょう。」さらに専門家は、先進事例として幾つかの中小企業の例を紹介してくれた。ある町工場ではノンコーディング開発ができるツール(たとえばキントーン等)を導入して営業から製造まで情報を一元化し、受注リードタイムを短縮したこと​ntt.comntt.com。また別の企業では、既存ソフトでは対応しきれない複雑な生産形態ゆえに自社で生産管理システムを構築した事例​ntt.comなど、誠一には目から鱗の内容ばかりだった。

誠一は隣で頷きながらメモを取る翔太の横顔をチラリと見た。かつては頼りなかった息子が、今では自分より頼もしく見える。「社長、息子さんがキーマンですね」と専門家がニッコリ笑って言った。「若い方が現場とITの橋渡し役になるケースは非常に多い。経営者であるお父様がそれを理解し、任せていくことが成功のポイントです。」誠一は少し恥ずかしくなりながらも「よろしく指導お願いします」と頭を下げた。

第9章 突破口

専門家からの助言を受け、誠一と翔太は在庫・生産管理システムの構築に乗り出した。といっても、一からすべてを作るのではなく、まずはできる部分を小さく改善するところから始めた。材料の在庫リストをクラウド上の表計算(スプレッドシート)に移行し、それと連動する形でPower Apps上に発注管理のアプリを作る——翔太は休日も返上して試作品を作り上げた。

初めてそのアプリを社内でお披露目したとき、誠一は密かに胸を躍らせていた。画面上には発注書のフォームが表示され、担当者が入力すると即座に購買担当(これまでは兼任だったが今回からベテラン事務員を正式に購買担当に据えた)の端末に通知が飛ぶ。購買担当が承認すれば在庫リストに追加の発注中数量が反映され、全員が見られるようになる仕組みだ。今までは現場ごとにバラバラに行っていた部品の発注が一元化され、誰が何を注文し、納期がいつかが一覧で把握できる。会議室のモニターに表示されたシステム画面を見て、従業員からどよめきが起こった。「すげぇ、本当にできるもんだな…」と木下が感嘆の声を漏らす。「受注から出荷、調達、生産までの一連の業務をシステム化できた会社もあるそうです​ntt.com。うちも少しずつこれに近づけていきたいですね」と翔太が説明すると、皆真剣な表情で頷いていた。

もちろん、一足飛びに全てが連携したわけではない。初期のアプリには不具合も出た。データベースの連携ミスで在庫数が二重にカウントされたり、通知が届かないケースが発生したり。だが翔太と数名の若手はすぐに原因を調べ、修正していった。その素早さに、誠一は正直舌を巻いた。以前、自分が外部のITベンダーに頼んで勤怠管理ソフトを入れたときは、ちょっとした不具合を直すにもいちいち何日もかかったものだ。しかし今回は社内の人間が自力で改善できる。これが内製の強みなのか、と誠一は実感した。

さらには、現場から「こうしてほしい」という要望が出るようになったのも大きな変化だった。「発注アプリに、この項目もあると便利じゃないか?」「在庫リストに写真も載せられないかな?」——職人たちがITシステムについて意見を言うなど、以前では考えられない光景だった。翔太はそれら要望を聞き取り、可能なものは即座に反映させていった。そうすることで、現場のモチベーションはさらに上がり、「自分たちの使いやすいように作っていいんだ」という空気が生まれた。

誠一は変わっていく工場の様子を頼もしく見守っていた。手探りで始めたDXだったが、小さな成功体験が次第に自信へと繋がっているのが感じられる。日報のデジタル化はほぼ定着し、データに基づく朝礼も軌道に乗った。在庫・発注管理も可視化が進み、材料切れや二重発注といったミスが激減した。以前は電話やFAXでやり取りしていた取引先との受発注も、簡易的なオンライン発注システムに切り替えつつある。

そんな折、あの主要取引先の大手メーカーから担当部長が視察に訪れた。工場の様子を一通り見学した後、部長は誠一にこう言った。「田嶋社長、このご時世によくここまで現場を改善されましたね。御社ほどの規模でここまでデジタルを活用できているところは珍しいですよ。正直、驚きました。」誠一は思わず照れ臭くなり、「いえいえ、息子のおかげでして…まだまだ途中です」と頭をかいた。部長はさらに続けた。「実は近年、我々もサプライチェーン全体でのデジタル連携を模索していましてね。田嶋社長のところのように、リアルタイムで生産状況や在庫が共有できると、お互いの連携が取りやすい。我々からシステム導入をお願いする前に自発的に対応いただけたのは大変助かります。」どうやら取引先は、今後下請け企業にもデータ連携を求めていく方針だったようだ。誠一は内心、「先手を打てた」ことに安堵した。もし何もしていなければ、いずれ取引維持すら危うくなっていたかもしれないのだ。

第10章 光明

DX推進に踏み出してから一年が経とうとしていた。工場には確かな成果が生まれ始めている。まず、生産性が向上した。日報データを分析して無駄な待ち時間を洗い出し、工程を見直した結果、月産出荷量は去年より15%増えた。残業時間もチーム全体で月20時間以上減少し、にもかかわらず売上は徐々に伸びている。従業員たちもそれを肌で感じ、「最近仕事がスムーズに進む」「ミスが減ったから安心して任せられる」と口々に言うようになった。

品質管理の面でも効果が出た。不良やトラブルのデータを蓄積・共有できたことで、再発防止策が打ちやすくなった。手書きノートに埋もれていた情報が掘り起こされ、例えば定期的に設備のメンテナンスを行うスケジュールもデータに基づいて作成されるようになった。結果、大きな機械故障はこの半年間ゼロとなり、稼働率が向上した。

さらに意外な副次的効果も現れた。従業員の意識改革である。ベテラン勢は当初渋々だったが、今では自分なりにタブレットを使いこなし、「この間孫にタブレットの使い方を教えてやったよ」などと笑う余裕も出てきた。若手社員は「自分たちの意見が現場改善に反映されるのが嬉しい」とモチベーションを上げ、離職者はゼロになった。求人募集をかけると応募者も増え、面接に来た若者から「御社はDXを進めていると聞き志望しました」と言われたときは、誠一は驚くとともに誇らしい気持ちになった。

その日、誠一は工場の二階にある小さな事務所で、ふと壁に掛かった先代の写真に目をやった。写真の中の父・誠二は厳めしい顔でこちらを見つめている。「親父…俺は間違っていないよな?」心の中で語りかける。頑固一徹でデジタルなどとは無縁に生きてきた父が、もし今の工場を見たら何と言うだろうか。きっと最初は眉をひそめるに違いない。しかし、目的は同じなのだ。いいものを作り、お客様に届け、工場を存続させていく。その手段が変わっただけ——そう説明すれば、分かってくれるのではないか。誠一はそんな想像をしながら微笑んだ。

するとノックの音がして、翔太が顔を出した。「父さん、ちょっと見てほしいものがあるんだ。」彼の手にはタブレットが握られている。画面には先日から試作していた設備点検管理のアプリが映っていた。工場内の各機械について、点検項目と点検結果を入力し、異常があれば自動的に管理者(誠一と翔太)に通知が飛ぶ仕組みだという。「現場の山口さん(機械担当の中堅社員)が、自分からこういうの欲しいって言ってきてさ。試しに一緒に作ってみたんだ。どうかな?」翔太は得意げだ。誠一は実際に触ってみて感心した。「いい出来じゃないか。点検漏れも防げそうだし、ウチみたいにいろんな設備がある現場にはありがたいな。」翔太は「でしょ?」と笑った。「山口さん、自分でも改良してみたいから勉強したいって言ってたよ。社内でまた勉強会を開こうと思う。」

誠一は静かに頷いた。現場から自発的にDXに取り組む動きが出てきたことが何より嬉しかった。思えば一年前、翔太に「若い人も定着しない」と言われたときには想像もできなかった光景だ。あのとき勇気を出して一歩踏み出してよかった、と心から思う。

第11章 未来へ

ある週末、誠一は地域の中小企業経営者が集まる勉強会に参加していた。テーマは「DXで変わる町工場の未来」。かつては自分が最も縁遠いと感じていたテーマだ。しかし今、誠一は講師からの指名を受け、マイクを握って体験を語ろうとしている。「田嶋さんのところではDXが進んでいると伺いました。ぜひ率直な体験談をお聞かせください」という依頼に、腹をくくったのだ。

集まった経営者仲間の視線が集まる中、誠一はゆっくりと口を開いた。「恥ずかしながら、うちの工場はDXなど全くの後手後手でした。しかし息子や社員たちのおかげで、遅ればせながら変わることができました。」そう切り出すと、会場は静まり返って耳を傾けている。

「なぜ日本の製造業はDXに遅れたのか——偉そうなことは言えませんが、自分自身を振り返って思うのは、心の奥底にあった抵抗感や油断だったのだと思います。」誠一は率直に語り始めた。「我々は長年の成功体験や職人文化に誇りを持つあまり、変化の必要性に気付いても見て見ぬふりをしてきた。​estman.affordance.co.jp過去に培ったやり方があるからこそ保守的になり、新たな挑戦を避けてしまう。​estman.affordance.co.jpそれにリソースや資金が乏しい中小企業では、DXなんて高嶺の花と思い込んでいた面もあります。​estman.affordance.co.jp経営者自身がDXの重要性やメリットを理解していないことも多く、社内で推進の機運が高まらない——まさに私がそうでした。」

誠一は会場を見渡した。何人かの経営者が深く頷いている。「ですが、幸いなことに私は息子からの熱心な働きかけで目を覚ましました。そして小さなことから始めてみたんです。」それから彼は、自社で取り組んだ日報デジタル化や在庫管理の改善、従業員の意識がどう変わったかを、具体的な数字も交えて紹介した。「もちろん簡単ではありませんでした。最初は現場からも反発がありましたし、私自身くじけそうにもなりました。けれど小さな成功体験を重ねることで、少しずつみんなが納得し、協力してくれるようになったのです。」

最後に誠一はこう締めくくった。「DXというと大げさですが、要は現場と経営者の意識を変え、新しい技術も恐れずに取り入れていくことです。幸い今は、低コストで試せるツールや行政の支援も充実してきました。​it-seibishi.or.jpdx.ipa.go.jp確かに我々中小の町工場には人も資金も足りません。しかし、だからこそ社内の人材を育て、知恵を絞り、身の丈に合った形でDXを進めることができます。​ntt.com私の経験から言えるのは、遅れた理由を嘆くより、小さくても前に進むことが肝心だということです。DXは大企業だけのものではない。我々のような小さな工場にこそ、大きなチャンスをもたらしてくれる——今はそう確信しています。」

会場は静かな感動に包まれていた。頷き合う経営者たちの中に、一年前の自分と同じように悩み苦しんでいる人たちの姿があった。誠一はマイクを置き、席に戻りながらホッと息をついた。その表情には清々しい達成感が漂っている。

勉強会の帰り道、翔太が車を運転しながら「父さん、立派だったよ」と笑った。「なんだか照れくさいな」と誠一も笑う。夕暮れの街並みを眺めながら、親子の笑顔はどこか以前よりも似てきたように見えた。

工場にはまだ改良の余地がある。全ての工程をデジタルでつなぎきったわけではないし、これからAIやIoT、本格的な自動化など、新たな課題も出てくるだろう。だがもう恐れることはない。誠一も翔太も、そして従業員たちも、変化を受け入れる土壌を手に入れたのだから。

「さあ、明日も頑張るか。」誠一は前を見据えて呟いた。アクセルを踏み込む翔太の車は、夕焼けに染まる道を未来へ向かって走り出していた。

【参考資料】